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備忘録

養老年という時代-隼人討伐その後

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養老年という時代-隼人討伐その後

養老4年(720)、大和朝廷は、隼人の鎮圧を宇佐宮に命じました。当時、宇佐神宮はまだ創建されておらず、現在の宇佐神宮の南側にある小向野の小山田神社(宇佐神宮摂社・宇佐八箇社の一社)で朝廷からの命を受けることになります。宇佐神宮年表には、小山田社の創建を霊亀2年(716)とし、隼人征伐は「此の社より御進発せり」と記されています。
▼小山田神社
小山田神社

隼人討伐を命じられた八幡大神の心境を『八幡宇佐宮御託宣集』は、次のように書いています。

誰か打つべき将として向かい給ふてへり。皆打つに堪へざる由を申す。早く若宮の老神宇礼・久礼をして云々。此の神、隼人を打ち取って、宇佐の松の隈(くま)に埋め給ふ。今凶士墓と号るは是なり。

八幡大神は、自分の代わりに誰か隼人討伐に向かうものはいないか・・と神々に向かって言います。が、皆、打つに堪えないと答え、若宮の老神宇礼・久礼が名乗り出たようです。 
託宣集は、豊前国守宇努首男人、祢宜の辛島勝波豆が「大御神」の御前に立ちて行幸すると書いており、宇礼・久礼とともに「大御神」も一緒に向かったようです。
菊池展明『八幡比咩神とは何か』には、「大御神」が託宣集では比売大神の呼名であったことから、八幡の比売大神(天照大神荒魂)が行軍したと考察しています。
鎮圧に向かうときの八幡大神の御神体は、中津市の薦神社の三角池の薦を刈って薦枕とし、神輿に乗せて向かいます。この伝承から、宇佐神宮は「神輿発祥の地」といわれています。託宣集は、この神輿の傍に白馬が寄り添ったと書いています。
▼薦神社三角池
薦神社・内宮三角池

中村明蔵『隼人の楯』に白馬の伝承に触れている箇所があるので読んでみます。

ビルマの調査をしておられる田村克己氏によると「ビルマの固有信仰でも神は白馬に乗ってくるという思想があり、神を祀る祠には白馬の小型模造品が奉納されているとのことで神と馬との結びつきを、東アジア・東南アジア的季語での考察が必要であると記されている。
また、小田富士雄氏(「古代形式馬考」)と森浩一(「考古学と馬」)『日本古代文化の探求 馬』の研究によると土馬、土製馬とよばれる遺物の大半が祭祀遺跡から出土し、平城京跡では井戸底、奈良県橿原遺跡でも井戸底から出土していることからも水神に捧げられたものと推定されると思う。

このように白馬は水神と関りが深いと考えられていますので、比売大神が水神であるから、白馬が寄り添ったとも考えられます。各地の白馬の伝承は以前触れていますので読んでみてください。

さて討伐軍は、大隅・日向の七つの城を攻めますが、曾於の石城・比売の城の二つの城は、最後まで籠城し抵抗したので落とすことが出来なかったようです。託宣集は中津の古要神社、豊前の古表神社の細男〔傀儡子[くぐつ]の舞〕の舞を見て敵心を忘れ、隼人が出てきたと記されています。隼人の祖の服属後に行われた朝廷での天覧相撲等を考えると隼人と同じ文化に親しみを持って城から出てきたと考えられます。
▼神相撲(祇園大神と住吉大神が船上で戦っています)
古表神社船上での神相撲2

古表神社9

隼人討伐の様子を託宣集の中から読んでみます。

養老四年庚申、大隅・日向両国の隼人等、日本の地を傾けしめんと擬する間、公家此の凶賊を降伏せしめんが為、宇佐宮に祈り申さる時、豊前国守正六位上宇努首男人将軍、大御神を請じ奉る間、祢宜辛嶋勝波豆米(カラシマノスグリ・ハツメ)、大御神の御杖[みつゑ]と為[し]て〔女官の名なり〕御前に立ちて行幸す。此の時彦山権現・法蓮・華厳・覚満・体能等、倶に値遇[ちぐう]し、同じく計を成し給ふ。仏法よりは悪心を蕩[はら]ひ、海水よりは竜頭を浮べ、地上よりは駒犬を走らせ、虚空よりは鷁首[げきす]を飛ばす。隼人等、大に驚き、甚だ惶[おそれ]る。彼の大隅・日向の内に、七ケ所の城を構ふ。爰[ここ]に仏法僧の威を振ひ、各大力を施し、二十八部の衆を出す。細男〔傀儡子[くぐつ]の舞〕を舞はしむる刻、隼人等、宴に興すに依り、敵心を忘れ、城中より見出しむる時、先づ五ケ所の城〔奴久良[ぬくら]・幸原[さちはら]・神野[かうや]・牛屎[うしくそ]・志加牟[しかむ]。〕の賊等を伐り殺す。今二ケ所の城〔曽於[そを]の石城・比売[ひめ]の石城。〕の凶徒忽に殺し難き間、託宣したまふ。
 須[すべか]らく三年を限つて、衆の賊を守り殺すべき由、謀り給へ。神我[われ]此の間に相助けて、荒振[あらふる]奴等を伐り殺さしめんてへり。
 時に将軍等、神道の教命を請[う]けしめ、蜂起せる隼人を伐り殺し畢ぬ。
▼宮崎県都城市弥五郎どんの館の中の姫城の絵
姫城画像jpg


結果1400人が犠牲になったと伝わる隼人討伐ですが、中村明蔵氏は、「一般に〈隼人の反乱〉とよばれるものは、すべて隼人の居住地内でおこったことであり、隼人が積極的に外部に進出して、政府側と退治したものではない、隼人は自衛のために立ち上がった武力による抵抗、それを政府は〈隼人の反乱〉と呼んでいるのである」だと書いています。隼人を討伐する目的は、隼人の国の南にある沖縄を含めた南方諸島の統治が目的だったのかもしれません。

討伐後のなごりを宇佐神宮近くに見る事ができます。宇佐神宮の呉橋へと続く勅使道沿いにある百体社、凶首塚古墳、化粧井戸です。凶首塚古墳は隼人の首を埋めたと伝わり、地元では隼人塚とも呼ばれていますが、案内板は六世紀末頃の横穴式石室であり隼人の首を葬った場所ではないと書かれています。隼人討伐後、宇佐の地では疫病等がはやり、託宣により、放生会が行われます。現在は仲秋祭と呼名が代わりますが、今でも鎮魂行事が行われています。
▼凶首塚古墳
隼人塚うさ
▼化粧井戸
化粧井戸
▼百体社
百体社

百体社境内石像


百体社本殿


『宇佐市史』は隼人の討伐後、養老七年に小山田神社に帰座されたと記されていますが、最初に神輿をおろしたのは、岩崎神社(宇佐市岩崎1130)と伝わります。
『宇佐郡誌』の記述を読んでみます。
岩崎神社
祭神 八幡大神
由緒 元正天皇養老三年大隅日向の隼人等叛き其勢熾(さかん)であったが、宇佐八幡の御託宣によって辛島の勝波(祢宜)に神軍を引率させ、豊前守宇努首男人を将軍とし、神輿を奉じて討伐に赴った所神威殊の外猛くましゝ、三年の後両国の兇賊悉く平定し、同七年に宇佐本宮に還御し給ふ。其御帰途此所に神輿を止め給ひ、御自身及び若宮の荒魂を止め給ふ、故に此岩崎神社には宇佐三所の大神の荒魂及び若宮の荒魂を祀り奉る。

『宇佐市史』には、小山田神社のご祭神も八幡大神になっています。小山田神社を出発する時には、荒魂の記載はありませんでしたが、宇佐に帰還するとご祭神の後に荒魂が付くようになります。なぜ、荒魂と称するようになったかを考えますと、小山田神社から出発した神が「大御神」と記されるも天照大神荒魂だったから、荒魂の概念が若宮宇礼・久礼にも荒魂という記載につながったのではないかと考えています。菊池氏の考察のように隼人討伐依に向かった「大御神」は、比売大神(天照大神荒魂)のことだと考えます。
▼岩崎神社
岩崎神社鳥居

岩崎神社

岩崎神社本殿

宇佐神宮公式年表によれば、現在の宇佐神宮の社殿が出来るのが神亀二年(725)で創建時に最初に祀られるのが八幡大神一座とされます。比売大神は天平五年(733)まで祀られることはありませんでした。この空白は何を語っているのでしょうか?隼人の討伐に五人の僧も加担したように託宣集にありますから、武力による征圧を一番悔いたのは、宇佐氏である法蓮をはじめとする僧侶だったのかもしれません。
私は、この空白の8年間は、宇佐氏が国東半島に比売大神祭祀を展開した時期にあたるのではないかと考えています。
六郷満山は、開基を仁聞菩薩とし創建を養老年間(717~724)とします。この養老年後半こそ、隼人の討伐から帰って宇佐神宮で祀ることが許されなかった比売大神を仁聞菩薩として祭祀した時期と考えます。宇佐神宮のことを深く研究していた中野幡能氏は、仁聞菩薩は比売大神のことであると考察していました。渡辺克己『六郷満山霊場めぐり』には、「伝承によると、仁聞は八幡大菩薩の応化とされ、八幡の神が仁聞菩薩となって現われ、六郷の山々に入峯修行し、かずかずの奇跡を現しつつ、法華経二十八品にちなんで二十八寺を開基し、仏像を刻むこと6万9千余体という」と書いています。託宣集を引用した中に「仏法僧の威を振ひ、各大力を施し、二十八部の衆を出す」と記されていたのは、この二十八寺と対応しているのかもしれません。以上、宇佐神宮を背景に養老年間の隼人討伐とその後を追ってみました。

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~ Comment ~

Re: 宇佐八幡神の征討参加とは

形名 様

いつも関心を持っていただき、ありがとうございます。

宇佐神宮の公式HPにも749年、聖武天皇の時代「八幡神東大寺を拝し、八幡大神に一品・比売大神に二品を賜る」とあるように
八幡大神という男神と女神の一対の祭祀が本来の神祀りの原型だったと考えます。現在は八幡大神は応神天皇というふうに定説化していますが、本来は、太陽神と水神(比売大神)の祭祀でした。明治期のパンフレット(大分県立図書館所蔵)を見ますと八幡大神は三女神で比売大神のことであると記され、男神が消えています。伊勢と宇佐は二所宗廟とも伝わります。伊勢に祀られている荒祭宮(天照大神荒魂)の神と宇佐の比売大神は同体と考えています。
宇佐家伝承『宇佐氏が語る古代史』には、八幡大元大神を宇佐シャーマニズムではと、ことわりながらも大直日神(日神)とし、続宇佐家伝承『宇佐氏が語る古代史』では、比売大神は宇佐家伝承では、三女神が降臨する前に人格神としてアマテラスオオミカミアラミタマが祀られていた旨が記されています。
こんなお話は、宇佐神宮の由緒等には、書かれていません。宇佐も隼人も奉じる神は同じ神で信仰的にも同族同志の戦いを強いられたのが、隼人の討伐だったのかもしれません。

宇佐八幡神の征討参加とは

こんにちは。
以下の官人が隼人征討に参加したのは記録にもあり、確かなんだろうと思います。
・征隼人持節大将軍 大伴旅人
・副将軍 笠御室
・副将軍 巨勢真人
・豊前守 宇努首男人

しかし、宇佐八幡の祭神である八幡神(=比売大神?)が「我征きて降し伏すべし」と自ら征討に赴いたという伝承の意味が、昔から理解できませんでした。特に人格の名も出てこないし、豊前守宇努首男人が統率した兵士戦力を暗に指しているのか、それとも軍の信仰的な後盾を意味しているだけなんでしょうか?

Re: 宮崎・鹿児島の隼人と神武東征

レインボー 様

コメントありがとうございます。
たしかに宮崎には、大型古墳がありますね。
大型古墳に埋葬された人々が隼人勢力によって滅ぼされたどうか・・・私には、分かりません。
神武東征ではなく、九州から他の氏族の移動はあったと考えます。
各所に神武天皇伝承を語る神社もありますから、なかなか難しいです。

宮崎・鹿児島の隼人と神武東征

宮崎・鹿児島の隼人討伐、たいへん参考になりました。

宮崎には大古墳が多く、ツングース系民族の支配地だった感じがします。しかし、それら古墳は突然として6世紀に消えます。

そのことは、宮崎・鹿児島の隼人勢力によって滅ぼされたことを示しているような感じを受けます。

ということは、また、神武東征は無かった感じを受けます。
たいへん参考になる記事でした。



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