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瀬織津姫神

高旗山垂迹の神―宇奈己呂和気神社

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宇奈己呂和気(うなころわけ)神社の紹介です。

福島県郡山市三穂田町八幡字上ノ台76
▼宇奈己呂和気神社鳥居
宇奈己呂和気神社鳥居4

宇奈己呂和気神社2

『神道大系 陸奥国上』安積郡式内社史料によりますと「宇奈己呂和気神」は、国守より四時の奉幣を受けたという延喜式内明神大社にあたります。この聞きなれない宇奈己呂和気神社ですが、太古に垂迹されたご祭神名を「瀬織津姫命也」と伝えます。全国の明神大社は二二四社ですが、陸奥国には十五社あり、奥州二之宮で安積三十三総社という古社です。
▼拝殿
宇奈己呂和気神社拝殿
▼本殿
宇奈己呂和気神社本殿

同書より勧請の始めを読んでみます。
桓武天皇延暦年中(737~806)按察使藤原小黒丸・大伴家持、当国御下向御代村ニ御着、然ルニ蝦夷之悪黨蜂起セシ時、高旗山ニマシマス神力ニヨリテ、コトゴトク打平ラゲタルニ依テ、高幡【ママ】山ヨリ前後ノ川之落合山崎ニ勧請、無双之大社造営、略、社頭勘受之以前ハ遥ノ西禿倉トテ自然ノ神祠アリ、高幡【ママ】ノ神霊影向ノ處ニテ参詣ノ人々多シトナン(後略)

一方「あさかの神社誌」はご祭神を瀬織津比売命/誉田別命と記されています。
御由緒には、当社旧記によれば、宇奈己呂和気神社創草は第49代光仁天皇代、陸奥国の蝦夷はびこり騒がしきために朝廷は天応元年(781)1月、陸奥国出羽按察使として藤原小黒麿を任命し下向させるが実効なく、翌年延暦元年(782)6月、新たに即位した桓武天皇は、新しく大伴家持を陸奥国出羽按察使、兼鎮守府将軍に任命下向させたが、蝦夷の勢いたくましく盛んのため、家持は高旗山頂に登り潔斎神々を祀り祈念するや神霊顕われ、安積郡の山々八ツ旗山の奇瑞を現わす、家持神験を得て雄々しく蝦夷平定の軍を進め、更服常なき蝦夷を威服させ陸奥、出羽の騒乱を鎮め民心安穏を得ることが出来た。家持神恩に感じ高旗山頂に荘厳な社殿を構築鎮守神として崇めたが、時経るの間に荒廃に至り、その後、山崎の地(現在地)に宮殿は移されるに及んだ。「あさかの神社誌」には境内敷地約3150坪と記載され、戦国武将等から代々の崇敬を受けた文書を伝世している旧社とあります。
▼「瀬織津姫命」垂迹伝承:高旗山
高旗山
高旗山に神霊が垂迹したという伝承は、欽明天皇十一年(551)という説と大伴家持が延暦元年(782)に神霊顕われ、安積郡の山々八つ旗山に奇瑞を現わしたという説があります。朝廷から宇奈己呂和気神に奉幣が行われましたが、どうしてこの神社名になったかは不明です。
神社伝承では桓武天皇の時代、蝦夷討伐のために御下向の折、藤原小黒丸・大伴家持は高旗山の神に祈り、神力によってことごとく平らげることが出来たとあります。高旗山の神は、どうやら強力な軍神としての神徳があるとみなされ、崇敬されてきたようです。そして太古に垂迹されたその神の名を「瀬織津姫命」だと伝えています。

「あさかの神社誌」のなかでは「中野幡能編 八幡信仰」から引用して天平十八年(746)、応神八幡神(宇佐八幡宮)の贈位もみられ、対朝鮮半島放棄、外敵対抗神的性格が夷敵調伏として、この頃に勧請と共に合祀されたものではなかろうかと考えられると書かれています。

『神道大系陸奥国上』には地名の八幡は、三ツ森峠八幡臺という所に欽明天皇十一年の垂迹説、後に大伴宿禰陸奥守国道勅を承り、延暦三年サキ村に迁(セン)宮、今の八幡村とあり、遊覧志には延暦年中三森峠八幡平にあり、安部■守高幡山に建立、永承の頃源義家再興、大伴国道八幡を合祀す(後略)

以上のようにご祭神の八幡神の応神天皇は、後日の合祀のようです。
福島県古殿町にはもう一社、ご祭神を「応神天皇・瀬織津姫命」とする八幡宮があります。
複数の棟札(『八幡比咩神とは何か』菊池展明著より)は姫大神が三女神ではなく、瀬織津姫命であることを示しています。
このような貴重な資料が存在する国が陸奥国です。

 地元の方に「高幡山に降りた神様はどのように伝わっていますか?」とお聞きしましたら「水の神様だ」と答えられました。由緒では語られていない瀬織津姫命の水神のご神徳を氏子の方々は伝え聞いているようです。堂々たる山容の高旗山の頂上には現在も神祠があります。帰りに奈良時代まで宇奈己呂和気神社の神宮寺であった真言宗八幡山護国寺にも参拝させて頂きました。ご本尊は虚空蔵菩薩でお優しい奥様が、写真を写すことを快く承諾してくれました。
▼護国寺
護国寺jpg
▼護国寺院内
護国寺2
▼虚空蔵菩薩像
護国寺虚空菩薩像
▼不動明王像
護国寺不動像jpg

ご本尊の虚空蔵菩薩像は、凛々しい女神様のお顔に見えました。左横の不動明王像は細身ながら迫力があります。神仏習合時、瀬織津姫神の本地仏は、十一面観音や不動明王といわれています。故風琳堂主人は瀬織津姫命の本地仏が虚空蔵菩薩で祀られた背景に明星信仰があったのではないか?と考えられていました。

千時千一夜のブログ 丁寧に伝承を説明されています。

宇奈己呂和気神社の意志
https://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%B9%E2%B4%FA%BB%B3&sk=1

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~ Comment ~

Re: レインボー様へ 

レインボー様
コメントをいただき、ありがとうございます。「あさかの神社誌」は平成13年に福島県神社庁郡山支部が作成したものです。福島県立図書館にあります。そうですね。古墳との関連まで調べるともっと深く古代が見えてくるかもしれませんね。地図で安積方面を見ながら、猪苗代湖との関連まで考えていましたが、繋がる伝承にはたどりつけませんでした。

レインボー様のブログでは稲作や日本人のルーツのお話を勉強させていただいています。以前読んだ『日本先住民族史』藤原相之助著には、隼人の祖がボルネオ島の住むSOW(曾)族ではないかと書かれていました。当ブログ鹿児島(隼人)で触れています。古代史に触れながら、神社伝承を追う旅はしばらく続きそうです。お時間がございましたら、また、覗いてみてください。ありがとうございました。

宇奈己呂和気神社創草は 

>御由緒には、当社旧記によれば、宇奈己呂和気神社創草は第49代光仁天皇代、陸奥国の蝦夷はびこり騒がしきために朝廷は天応元年(781)1月、陸奥国出羽按察使として藤原小黒麿を任命し、・・・

〇宇奈己呂和気神社創草は
 私は、この記事にある安積の出身ですが、このような詳しい神社の由来は初めて拝見しました。
 おそらく、古代にあっては、最も古い神社と思われます。近くには古墳もあり、それらとの関係が分ってくると、すごいと思いました。
 草々
 
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