神話・伝承
牽牛と織女図
明日は七夕、年に1回天の川を挟んで彦星と織姫の逢瀬が行われるとの伝説があります。
九州は梅雨前線が停滞しており残念ながら天の川をみることはかなわないようです。
福岡県の大島でも七夕伝説がありますが、京都の地主神社では「棚機(たなばた)」とは古い日本の禊ぎ(みそぎ)行事で、乙女が
着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈ったり人々のけがれをはらうというものと伝わっています。他には京丹後
の天女伝説や琉球にも天女伝説があり、各地で明日は古代の伝説を思い浮かべながら、夜空を眺める方もいるかと思われます。
峰山郷土史(上巻)では「七夕伝説の織姫」に以下のような伝説を紹介しています。
比冶の里に三右衛門という狩人があってある朝、山頂の池(女池・雌池)で水浴する八人の天女を発見し、そのうち一人の羽衣を奪って天女と同棲して、三人の女児をもうけ、農業、養蚕、機織の業をひろめたが、天恋しさにたえかねた天女は、子供から羽衣のかくし場所を聞き出し、大黒柱の中にかくしてある羽衣をとり出すと、軒先の夕顔(干瓢)の蔓をよじのぼり、外から駆けもどって来た三右衛門に「七日々々に会いましょう」と再開の日を約束して昇天して行くという筋書で、七日々々が七月七日と聞き間違えたのは「あまのじゃく」という悪神のいたずらからであった―という。
―また、三右衛門は、天女を慕って夕顔の蔓をよじて天上にのぼり、天女に会い、天の川の架橋を請け負った。しかし、この工事が完成するまでは、天女のことを思い出してはならないという約束であったが、予定の七月七日が来て、橋がほとんど出来上がったとき、三右衛門は、天上にとどまり天女といっしょに暮らせるよろこびに、ふと天女を思い出した。と、たちまち洪水が出て、橋は押し流され、三右衛門は下界へ追いかえされた―という後日物語がある。(中略)
その後、三右衛門の家には代々美女が生まれたので、その美系にあやかるため、毎年七月六日・七日の祭りには遠近をとわず、参詣する人々で賑わったという。また、この天女がはじめて稲(水稲)の栽培を教えたので五穀の神、すなわち田畑の神として祭るのであるという。現在(昭和38年作成の郷土史の為、現在は確かめていません)でも三右衛門の家では2日間に限り、牽牛織女の画軸などが展覧される。
「世界の大遺跡シリーズ10 古代朝鮮のあけぼの」講談社では
1976年に発見された徳興里古墳に高句麗文化の遺産を見ることが出来ます。
江西一帯が古墳の密集地で高句麗王族や貴族と墓域と考えられているそうです。
徳興里古墳で関心を持ったのが「牽牛と織女図」です。図の解説には以下のように書かれています。
牽牛と織女図 徳興里古墳 三国時代高句麗 408年
青色の銀河が大きくうねって流れ、それを挟んで、牛をひく牽牛と犬を連れた織女を描く。年に一度、七夕の夜にしか
会うことを許されなかった2人。多分逢瀬の後であろうか、織女は悲しげに牽牛を見送る。
七夕伝説が5世紀の高句麗にすでに伝えられていたことは興味深い。
上記のように書かれていましたが高句麗へは中国から伝説が伝わったと考えられます。
▼徳興里古墳 牽牛と織女図

九州は梅雨前線が停滞しており残念ながら天の川をみることはかなわないようです。
福岡県の大島でも七夕伝説がありますが、京都の地主神社では「棚機(たなばた)」とは古い日本の禊ぎ(みそぎ)行事で、乙女が
着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈ったり人々のけがれをはらうというものと伝わっています。他には京丹後
の天女伝説や琉球にも天女伝説があり、各地で明日は古代の伝説を思い浮かべながら、夜空を眺める方もいるかと思われます。
峰山郷土史(上巻)では「七夕伝説の織姫」に以下のような伝説を紹介しています。
比冶の里に三右衛門という狩人があってある朝、山頂の池(女池・雌池)で水浴する八人の天女を発見し、そのうち一人の羽衣を奪って天女と同棲して、三人の女児をもうけ、農業、養蚕、機織の業をひろめたが、天恋しさにたえかねた天女は、子供から羽衣のかくし場所を聞き出し、大黒柱の中にかくしてある羽衣をとり出すと、軒先の夕顔(干瓢)の蔓をよじのぼり、外から駆けもどって来た三右衛門に「七日々々に会いましょう」と再開の日を約束して昇天して行くという筋書で、七日々々が七月七日と聞き間違えたのは「あまのじゃく」という悪神のいたずらからであった―という。
―また、三右衛門は、天女を慕って夕顔の蔓をよじて天上にのぼり、天女に会い、天の川の架橋を請け負った。しかし、この工事が完成するまでは、天女のことを思い出してはならないという約束であったが、予定の七月七日が来て、橋がほとんど出来上がったとき、三右衛門は、天上にとどまり天女といっしょに暮らせるよろこびに、ふと天女を思い出した。と、たちまち洪水が出て、橋は押し流され、三右衛門は下界へ追いかえされた―という後日物語がある。(中略)
その後、三右衛門の家には代々美女が生まれたので、その美系にあやかるため、毎年七月六日・七日の祭りには遠近をとわず、参詣する人々で賑わったという。また、この天女がはじめて稲(水稲)の栽培を教えたので五穀の神、すなわち田畑の神として祭るのであるという。現在(昭和38年作成の郷土史の為、現在は確かめていません)でも三右衛門の家では2日間に限り、牽牛織女の画軸などが展覧される。
「世界の大遺跡シリーズ10 古代朝鮮のあけぼの」講談社では
1976年に発見された徳興里古墳に高句麗文化の遺産を見ることが出来ます。
江西一帯が古墳の密集地で高句麗王族や貴族と墓域と考えられているそうです。
徳興里古墳で関心を持ったのが「牽牛と織女図」です。図の解説には以下のように書かれています。
牽牛と織女図 徳興里古墳 三国時代高句麗 408年
青色の銀河が大きくうねって流れ、それを挟んで、牛をひく牽牛と犬を連れた織女を描く。年に一度、七夕の夜にしか
会うことを許されなかった2人。多分逢瀬の後であろうか、織女は悲しげに牽牛を見送る。
七夕伝説が5世紀の高句麗にすでに伝えられていたことは興味深い。
上記のように書かれていましたが高句麗へは中国から伝説が伝わったと考えられます。
▼徳興里古墳 牽牛と織女図

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