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第13番 足曳山両子寺

両子寺縁起

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国東市安岐町大字両子1548

足曳山両子寺は六郷満山中山本寺にあたり山岳修行の道場でした。本尊は十一面千手観音菩薩。両子寺は「子授けの寺」として信仰されています。参拝者は奥ノ院の十一面観音菩薩と併せて左右に祀られている宇佐八幡神と仁聞菩薩の「両所権現」に詣り、不老長寿の霊水をいただきます。
▼国東半島案内図
両子寺11
▼両子寺案内
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▼十三層塔の横には天台宗別格本山両子寺と
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▼護摩堂 本尊は不動明王
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▼両子寺案内
両子寺14
▼講堂の阿弥陀像説明板
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▼講堂の仏様
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▼奥ノ院の鳥居
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▼国東の塔
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▼奥ノ院(現在の本殿は弘化三年(一八四六)、木附藩の松平親良の寄進)
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▼十一面千手観音像
両子寺22
▼両所大権現
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▼奥ノ院の裏の洞窟
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両子寺には江戸時代の文筆家、滝沢馬琴著の「豊後国両子寺大縁起」と「両子寺畧縁起」の二つがあります。両子寺五十四世豪円師の請いによって文化十二年(千八百十五)に書きあげられました。原本は早稲田大学図書館に保管されています。

縁起の最初の部分を少し読んでみましょう。

六郷山両子寺大縁起 荏土 瀧澤解撰

豊後國國埼郡六郷山足曳の両子寺は、仁聞菩薩の開基にして日域最初の台教たり、葢惟れば、人皇四十六世の聖主元正天皇の養老二年戌午の秋八月、法華序正流通の三段に分たる、三山凡廿八ヶ寺九十九ヶ所の精舎靈崛悉皆落成せり、葢開山仁聞大士は、震旦にては陳氏の皇孫、我朝にては應神天皇八幡大菩薩の権化たり、唐山陳の武皇帝は姓は陳氏名は覇先、はじめは梁の参軍たり、屢軍功あるをもて梁の將相に拝任せられ、禪を受位に即き高祖武帝と尊號せらる、帝微賤かりしとき一女ありて男子なし、そのおん女僅に7才、日輪口中に入ると夢みて忽地に懐妊し、七年の後安らかに男子を出産し給ひけり、その兒生るゝ時に當りて奇異甚多かりければ、祖父はいたく忌嫌ひて竊にこれを棄たりける、是よりして彼の兒は民間に生育ものから、幼少にして大志あり、年四才にして身長四尺、十三四歳の童子にまして、聡明叡智いふべうもあらず、常に日輪を拝しつゝ竊に天朝を景慕して、投化の情愿ふかければ、漫に濱邊に迷来て商船の底に隠れ、萬里の渡海輙くも大隅國銚子の浦磯の岸にぞ着給ふ、實に欽明天皇の十六年乙亥の秋八月、唐山は梁の天子敬皇帝の時にして紹泰改元の時に丁れり、かくて彼此の浦人等は、投下の童子が異なるさまを怪しと思はざるものもなく、その来歴を尋れば、神童答へて、われは、是梁朝にては陳氏の子たり、この土にしては第十六主譽田天皇の後身なり、素より朕が神靈は豊前豊後に迹を垂れ、百王鎮護国家安泰異敵降伏の本願を果さんと思うのみ、われ嘗て震旦の天台山を景慕して生を彼土に攀しかば、不✔學して戒定慧の三學を相承し、生まれながらにして台教の淵源に泝りて、神釋二教成就せり、けふよりしてわが名をば八幡麻呂と唱ふべし、しかれども時なほ早かり、豊後の國崎に一座の山あり、われ且彼處に山居して時の来つるを待つべき也、今よりして彼嶽を両子山と唱へよかし、両子は即わが神靈一體分身して垂迹を神釋二教に示すの義なり、夫神道と佛法は一腹雙生の両子の如く、これを分てば異なれ共、これを寄すればいづれを兄孰を弟と決めがたし、或は又葢匣の義なり、(後略)

又、両子権現については『両子寺史」に縁起が掲載されています。

両天童子について-当山縁起に

養老二年春開山仁聞当寺草創ノ志願ヲ起シ、先ツ山上ノ厳石ニ座シ一夏九旬誦経精修志願成就ヲ禱リケルニ、或時威徳織盛ノ天童来現シテ、山岳ヲ揺動シ天地ヲ晦冥シ種々恐怖ノ事ヲ為シ、又タ或時瑞正有相ノ天女来現シテ、嬉戯快楽変態種々仁聞ノ精修心ヲ憂ス。然ルニ仁聞益々精心ヲ励シ頻リニ観音ヲ念シケルニ、一時観音示現して告テ云ク「彼ノ天童天女ハ欲界ノ天汝ヲ試ルノミ即チ精心勇猛ナルトキハ今ヨリ汝ヲ守護シ利益ヲ為スコト究リ無ラント」云云。其後彼ノ天童天女ハ屡々来現シテ護祐ヲ加ヘケレバ、乃チ仁聞岩畔ニ一宇ヲ創テ主座に観音を安シ左右ニ天童天女ヲ祭リ両子大菩薩ト崇メ、又此ノ菩薩ノ擁護ニ因リ寺門ノ栄昌ヲ欲シ寺ヲ両子ト名ヅケタリ。後世両子トハ彼ノ男天天女ヲ崇メタルナレバ、男女ノ二子ヲ授ケ子孫繁昌ヲ守リ玉フノ義ナリトシ、世人出生長寿ヲ祷ルニ其ノ応験尤モ著ト云フ。

さて前記由緒の中に天童天女の出現は宇佐宮若宮にまつる大葉枝皇子小葉枝皇子の双子(皇子皇女の双子)を両子大菩薩と崇め奉安したの説あり。

御由来記ニ宇礼久礼両子大権此ノ両子権現ト申シ奉ルハ御前世ハ大葉枝皇子小葉枝皇子ノ御霊也

六郷満山の寺院は明治初年迄は神仏混淆であったので、宇佐六神を境内に六所権現としておまつりされていた。又寺院によっては四所権現、三所権現としておまつりされているところもある。当山の場合は又異なっている。即ち両所権現である。奥之院昇り口に石の大華表(鳥居)の額に両所大権現とある。又当山古文書に、「両子寺鎮守堂は主座千手観音祀り」
右脇ニ宇佐八幡大神ヲ左脇ニ仁聞菩薩ヲ祭レリ
左右ヲ号シテ両所権現ト称シ又ハ主座に拠テ観音堂ト唱ヘ九州西国三十三番ノ札所ナリ。
(後略)

両所大権現については上記のように諸説があるようです。

六所権現も祀られていたようですが、詳しくは書かれていません。現在の本尊は千手観音・両所大権現・宇佐八幡神・仁聞菩薩ですが、『両子寺史』によりますと安貞(1229)の目録には「本尊薬師如来同仙千手観音」とあり、又六所権現があったとあり、元文(1741)では権現堂の本尊として千手観音・薬師・惣大行事三尊となっています。「太宰管内志」には天保(1845)の頃には「岩窟は東に向かへり六所権現観音の両所一崫なり近年火災にて堂宇なし」の状態だったとあります。薬師堂については同書には記載がありません。


日出町の万福寺の伝承には

観音堂が野火で堂宇が焼失したとき、「十一面観音(仁聞作)が薬師堂に飛賜ふ、夫よりして薬師堂の側に安置すること久し」と書かれています。『日出町誌』より

薬師様のところに飛んで行った観音様の話を思い出し、両子寺の観音様のお隣に薬師様が本来おられて神仏習合のお姿が両所権現といわれていたのかも・・・などと考えています。神仏習合時の神様のご神名は語られていません。
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