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2012-07-  ] 

別府:納涼花火大会

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2012.07.30

別府夏の宵まつりの最終日に行われるのが、花火大会です。昨日は朝早くから、地域の草刈りでした。ご近所の方から「海から花火見るかい?」と声をかけられたので、甘えさせていだだきました。今回はとってもリッチな花火見物でした^^温泉マークの花火も上がりましたよ!▼夕焼けが美しく波も静かです▼中央から少し左側に見えるのが別府タワーです。別府タワーのHPより■別府タワーの軌跡 別府タワー(1957年完成・90m)は、 名古...全文を読む

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宇佐神宮夏越祭

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2012.07.27

7月27・28・29日は宇佐神宮では恒例の夏越祭があります。今日はは初日で上宮から頓宮へのお下りがありました。3基の神輿が進む前に地域の子供会の神輿が太鼓をたたきながら進みます。...全文を読む

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真玉町常盤上の妙見立像

[ 妙見]

2012.07.25

『真玉町誌』の中で常盤上の妙見立像のことが書かれていました。岩盤の下を利用して安置してある。方形の基礎に大きく妙見尊と刻しているが、他の銘文は不明確である。総高1.5m、像高78センチの立像で舟形光背をつけている。頭には頭巾をかぶり、天衣を整然とつけて、右手に剣をさし挙げ、左手に七星のついた宝珠を載せている。面貌は忿怒形をして亀の背中に立っている。亀は体を横にして首をあげ、這い出そうとする恰好に彫...全文を読む

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楽庭八幡神社:吉弘楽

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2012.07.24

吉弘楽の続きです。南北朝の頃、豊後国主大友氏の分家吉弘氏の始祖吉弘正賢公が、当地に入封し、府内柞原八幡宮の分霊を勧請して守護神とし、吉弘楽を保護司祭して益々隆盛を極めて以来、二百年間歴代城主の司祭で続けてきた。(後略)『武蔵町の民俗』武蔵大学人文学部日本民族史演習には楽庭八幡社は南北朝時代に吉弘正賢公が城主になったとき、居城内の霊地「宮の谷」に鎮座していた祭神大山祗命を祀る山神社に併せて品陀和気命...全文を読む

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西光寺の薬師さまと吉弘楽

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2012.07.22

国東市武蔵町吉弘字美婦(みふ)の楽庭八幡神社で行われた吉弘楽のご紹介です。吉弘楽は、毎年7月第四日曜日に楽庭八幡神社の境内の楽庭で五穀豊穣、虫祈祷の為に行われる修法です。平成八年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。養老二年(七一九)、仁聞菩薩が国東半島の六郷二十八山に天台宗と宇佐信仰の習合した霊場六郷山を開いた頃六郷山寺院の指導と参加により、盛んに楽打ちが行われていた。吉弘村においても、...全文を読む

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頼もしきかな・・應利山畧縁起

[ 第1番 大折山報恩寺]

2012.07.19

『西国東郡誌』には應利山畧縁起が記されています。豊後國東郡来縄應利山報恩寺と申すは、元正天皇ノ養老年中宇佐八幡宮假に仁聞菩薩と現れて御母神功皇后の御為に御建立也此故に皇后の御塔まします、本尊は千手観音ニシテ仁聞衆生済度の御願にて手づから刻ませ給ふ也、微妙不思議の御尊軆、心詞も及ばず、古ヨリ今に至る迄、雨を祈れば雨注ぎ、福を祈れば福を増し、病を祈れば病ひ平癒し、命を祈れば長命に、知恵を祈れば知恵を増...全文を読む

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大折山 報恩寺 

[ 第1番 大折山報恩寺]

2012.07.18

六郷満山霊場めぐり第1番札所の大折山報恩寺の紹介です。報恩寺でいただいた案内より豊後高田市上来縄六郷満山 本山本寺 大折山(応利山)報恩寺(天台宗)開基 仁聞菩薩 本尊 千手観世音菩薩寺伝云「養老二年仁聞菩薩宇佐八幡の神託を蒙り神功皇后追福の為千手観音を祀り、その後弘仁二年伝教大師最澄宇佐宮参籠の折、当山に詣で広く円頓の妙旨を伝え、衆徒悉く帰依し天台宗となり爾来顕密の教法を兼ね国家安寧、万民快楽の...全文を読む

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無動寺の鎮守さま

[ 第10番 威王山無動寺]

2012.07.17

以前の無動寺は現在の位置より少し下った下黒土の身濯神社の場所にありました。大正十二年に書かれた『西国東郡誌』には以下のように語られています。無動寺養老年間の創建にして本尊は不動明王なり、法蓮大和尚毎に保戒行事し延暦三年まで六十有余年、天皇の叡感浅からず其後中興の開基を圓舜大和尚とす又同書には身濯神社のことも書かれています。鎮座 延暦年間 黒土字下黒土岩屋俗に瀧権現と称ス本尊の不動明王の威力は門前を...全文を読む

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仁聞作の伝承のある萬福庵の観音様

[ 第33番 赤松山願成就寺]

2012.07.16

万福庵は日出町赤松の楠地区にあります。ここは願成就寺の南の谷を隔てた丘陵の中腹です。▼万福寺に行く途中で撮影しました。正面左上が元薬師堂のあった場所です。万福寺は古くは重山万福庵と称し「里目一二庵」の一つとも云われてきました。たまたま、野火で堂を焼失しましたが、幸いにこの観音様は類焼を免れ、宝暦元年(一七五一)再建し、この像を祀ったそうです。仁聞作と伝えられている十一面観音像は日出町に2つあり、も...全文を読む

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無動寺

[ 第10番 威王山無動寺]

2012.07.13

豊後高田市真玉町大字黒土1475威王山(小岩屋)無動寺の紹介です。無動寺は六郷満山中山本寺で養老二年仁聞菩薩の開基と伝えられています。もとは現在の地より少し下がった下黒土、通称小岩屋にありました。鎌倉初期の記録には山号を小岩屋山と号し、本尊は薬師如来で種々の祈祷や多くの勤修が行われたようです。弘安七年(一二八四)に蒙古再襲におびえる鎌倉幕府の命令で、六郷満山の諸寺が異国降伏の祈祷を行った際は無動寺...全文を読む

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牧峯神社

[ 第33番 赤松山願成就寺]

2012.07.11

赤松山願成就寺の背後にあるのが、村社牧峯神社です。『日出町誌』から牧峯神社の由緒を読んでみます。養老四年四月八日赤松地頭松尾政家紀州熊野山ヨリ両子峯に勧請、享禄元年二月八日牧峯一町山工奉移ス、玉串勧請ト見エ腐朽シタル玉串三本計シアリ、外ニ神鏡八面付属ス依テハ所権現ト称し来リシガ鏡ニ佛体鋳付アルヨリ神佛取分ノ際、同村願成就寺ヱ移ス、當社ヲ牧峯神社ト改号ス、光孝天皇ハ往古ノ合祭ニアラス、右願成就寺僧某...全文を読む

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